本庶佑(ほんじょたすく)氏が2016年もノーベル生理学・医学賞の候補に選ばれています。本庶佑京都大学客員教授は、「プログラム細胞死1 ( PD – 1 )およびその経路の解明により、がん免疫療法の発展に貢献」により、トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞しました。本賞の受賞が、すなわちノーベル賞予測とされ、日本からは前田浩氏、松村保広氏とともにノーベル賞受賞が期待されます。
本庶佑氏は、2013年に文化勲章を受賞され(高倉健と同期)、その時も「日本で最もノーベル賞に近い研究者」とされていました。1942年生まれの74歳。
《トピックス》
「PD-1」の発見者本庶佑先生がノーベル賞候補に米トムソン・ロイター社が予想https://t.co/m6RrLIJNkZ pic.twitter.com/ax2Lt9kDci— 日本がん対策短信 (@gantaisaku1105) 2016年9月21日
ご家族は、まず父親が医師でした。1971年に京都大学医学部の大学院を修了し、アメリカのカ-ネギ-研究所発生学部門の客員研究員などを務めますが、1974年から東大医学部の助手になっています。結婚されて奥様、息子さん、娘さんという家族であったことが分かっています。
またSTAP(STAP)細胞の問題については、「新潮45」に本庶佑氏のコメントが掲載されています。また「創造性の育成塾」の講演などでその件に触れておられるようです。
STAP細胞の論文では、マウスの細胞がSTAP細胞に変化した証拠として、免疫細胞がそれぞれ特有に持っている遺伝子の目印を利用したと記されていまし た。
しかし、論文ではその証拠は不十分で、加えて後日にその目印が見つからなかったという訂正さえあったのです。「新事実が発見されたら、その証拠が正し いのか疑わなければならない」と、先生は繰り返しました。
(「創造性の育成塾」夏合宿 2014 より *文章は本庶氏ご本人ではなく、受講生のものです。)
ところで、アメリカから日本に戻った理由としてこんな言葉がありました。
帰国を決めた理由は2つ。
1つは、アメリカで質の高い研究をした日本人はたくさんいるけれど、日本に戻ると総説をいくつか書いて、それでどこかに消えてしまう人が多い、そんな時代でした。そこで、日本発の良い研究をしてやろうという挑戦心が生まれたのです。
もう一つは家族の問題。アメリカはやはりアングロ サクソンの国ですから、そういう中で子供たちが育つことに不安を感じたのです。研究室では仕事だけが勝負ですけれど、日常ではちょっと買い物に行っても、 差別に出会いましたから。
(「生命誌ジャーナル」 本庶佑 より)
同誌には、学生時代の写真も多数載せられていますが、日本に帰って東大の助手時代のご家族の、妻・長女・長男の方とともに映る写真があります。
ちなみに出身大学は京都大学医学部ですが、東大の助手のあと、大阪大学医学部教授を経て1982年に母校の京都大学医学部教授に就任し、一時期は弘前大学の教授でしたが、基本的にずっと京都大学で研究されています。
1942年生まれで2006年(64歳)には京大も客員教授となり、また同時期に内閣府総合科学技術会議議員に就任。
「PD―1」は免疫細胞の働きを抑制するたんぱく質ですが、その仕組みを用いることで具体的に製品化されているものが小野薬品によるオプシーボ。2014年に認可されました。
ガンといえば免疫療法、と直ちに連想されるほど周知されているか。その認識には個人差があると思われますが、しかし免疫療法が重要ということは、現在かなり広まっているのではないでしょうか。
自己の免疫力すなわち免疫機能を高めることでガン細胞を攻撃しようという研究が評価され、さらに期待されています。ご本人の過去の言葉をお借りすると・・・
脊椎動物には体を守るために免疫というしくみがあるのはよく知られています。外界からの様々な異物(抗原)に対し、特異的に結合する抗体タンパク質が血液中のリンパ球で作られ、抗原を体内から排除するしくみです。抗体遺伝子が、どのようにして抗原の多様性に対応しているのかが大きな謎でした。・・
(「生命誌ジャーナル」 本庶佑 より)
上記は、1970年代のアメリカ留学時代のことを述べておられる一節。若い頃の志が今も継続され、また医学界に大きく貢献されているということでしょう。
ノーベル賞の発表が楽しみです。