明徳義塾の馬淵史郎監督が、8月16日(2016年)で沖縄代表の嘉手納高校に5─13で勝った後に、50勝したら辞めてもいいかと発言したことが、話題を呼んでいます。
この嘉手納高校との試合によって、明徳義塾は春夏を通算して47勝。
「10年くらい前から目標は50勝。50勝になったら辞めてもいいかなと思っている。あと3勝なら、2、3年やればいいかな」。
(スポーツ報知 8月17日)
これは勇退宣言でしょうか。言葉の通りに受け取ると、いま98回全国高校野球でベスト8ですから今回の夏の甲子園で、準々決勝と準決勝、決勝という3回を勝ち進んで、つまり全国優勝したら、今回で50勝達成! もあり得るわけですが・・・
もし今回で50回達成なら、素晴らしいですね。
明徳の馬淵史郎監督といえば、あまりに有名です。1955年生まれで現在60歳。ご本人は愛媛の大島(八幡浜市)の出身で、県立の三瓶高校や拓殖大学で野球をしていました。
そして1990年に明徳の監督になり、1992年のあの松井秀喜選手に対する『五打席連続敬遠』の社会現象とも言える「事件」を、結果的に引き起こしました。
あの当時は、ネットの記事やもちろんツイッターもなく、テレビでいわゆる「町の人」の声が繰り返し放映されました。覚えているのは、高知県出身の都内の会社員の方が「もう恥ずかしくて外を歩けない・・・」と答えている姿です。それはどうだろうと思いました。
もちろん当時から賛否両論ありました。
明徳の生徒たちが泊まっている甲子園近くの宿舎に報道陣が押し寄せていたようです。一方で、野球の戦術の一つだから、恥ずべきことでないという論議も・・・
そこはともかく、明徳を率いてきた馬淵史郎監督の功績は間違いなく偉大です。近ごろでは2010年からまた連続出場中の夏の甲子園。
さて、辞任はある? という表現が的確か分かりませんがご本人の「辞めてもいい」ような言葉がありました。50勝という節目だとしたら、最速で2016年この夏のうちに訪れる可能性があります。
でも現在60歳。
茨城の常総学院(その前に取手二高で清原・桑田に勝って全国優勝)などで長年指揮を執ってきた木内幸男元監督は、2011年に監督を辞めていますが、当時、80歳。
比較してどうというものではありませんが、馬淵監督については、まだまだ今後が期待されるのではないでしょうか。
2014年のインタビュー記事で馬淵氏がこんなことを答えていました。
あの時、うちには絶対的なエースがおらず、ベンチには投手を5人も入れました。普通5人も入れませんよ。多くて3人です。・・・(中略)・・・
高校野球の魅力って、力のない学校でもみんなの力を合わせてしっかり作戦を立てたら、強豪校とでも対等に、もしくはそれ以上に勝負できるところにあると思うんです。その見本みたいな試合だったんですがね。
・・・(中略)
あんな騒ぎになるとは思っていませんでした。うちの選手にも星陵の選手にも嫌な思いをさせてしまったなあ、つらい思いをさせてしまったなあと思っています。野球を離れた一人の年上の人間からしたらね。一番良かったのは、松井君が成功してくれたこと。
(2014年3月5日朝日デジタルより)
今や、明徳義塾はもちろん強豪校です。
ご本人の言葉もあと2〜3年ということなので、2016年のうちに馬淵監督辞任という事態はあまり考えられませんが、どうなるでしょう。
監督は上記のインタビューで「こんな山の中で、朝早うから晩も遅うまで文句も言わず辛抱して」練習している生徒たちに、世の中には理不尽が多いのだから辛抱が必要と教育していることを語っていました。
世の中には理不尽が多い・・・その通りだと思いますが、しかし意外と明確に言われないのが昨今の風潮かもしれません。
理不尽だって、損だって、一心不乱に走る生徒を生み出してきた監督はやはり希有の方でしょう。